プロフィール

しーシュ

Author:しーシュ
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    しーなとシュウ
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ピアノ&ボーカル 椎名まさ子
ベース&ボーカル 梶山シュウ
デュオユニット

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10月17日(土)

しーシュぷちヒストリィ

〜梶山シュウ 生誕50thライヴによせて
  facebookにしーなが投稿した連載を
 せっかくなのでここへまとめて掲載〜




もともと、我々の活動フィールドは、かなりかけ離れていたのですが、
「梶山シュウ」という異端児の存在は、遥か昔より聞き及んでいました。

ただ、実際に言葉を交わしたのはずっと後、今を遡ること20数年ほど前、
某大手Y楽器のスタジオの廊下。
面識はあったものの、その日初めて一対一で出食わしたのでした。

当時のシュウはロン毛で強面なイメージがあり、多少キンチョーしつつ、
「あ、こんにちは。」と挨拶すると、意外にも満面の笑みで近づいてきてキンチョーは高まりました。
そして、
「あ、椎名さんですよね。ちょっと今いいですか?」と。
「はい、ちょっとなら。」
シュウはカバンからカセットテープをひとつ取り出し、
「これネ、今俺がやってるS.Y.U.Kってバンドなんですけど、聴いてもらえませんか?」
「あ? は、はい。」
「有料なんですけど(500円位だったと思う)いいですか?」
ワタシ、人から手売りで音源を買うのは生まれて初めてでした。
「あ、はい。」
「あっ、うれしいッス!」
お金を払い、カセットを受け取りました。
「では、聴かせてもらいます。」
「ありがとうッス!」
「あ、では、、また、、。」

シュウは笑顔のまま爽やかに廊下を去っていきました。
背中でロン毛が揺れていました。

シュウ、20代後半の秋。



シュウから爽やかに売りつけられたカセットテープには、タイトでプログレッシヴなインスト音源が入っていました。
演奏は上手いし曲もいいし、好きなタイプのバンドでした。
しかしその後話す機会もなく、いつのまにやらすっかり忘れてしまいました。

それから数年。

その頃ワタシは音楽事務所のようなことをやっており、ある企業のパーティー演奏に、とあるバンドを雇いました。
現場に行くと、あのロン毛のベーシストがTシャツでセッティングしているのが目に入りました。
ワタシはリーダーのドラマーに近づき、こっそり尋ねました。
「あのぅ、言いにくいんですけど、大きなパーティーだし国外からのゲストも多いので、その、、メンバーはそのヘン大丈夫でしょうか?ドレスコード伝わってますよね?」
ロン毛の人がちゃんとスーツを持ってきてるかどうか、不安でした。

本番は大変素晴らしく何も問題無し。
ホッとすると同時に人は見かけで判断しちゃいけないネ、と反省しました。

それからまた数年。

とある依頼をワタシがバンドで受けることになったものの、日がないのにリクエストもあり大変そう。
ふと、あのロン毛ベーシストの顔が浮かびました。
「なんとなく、あの人なら大丈夫な気がする…」
根拠のない思いつきでしたが、知り合いに電話番号をきいてコンタクトをとりました。

会ってみると、スキンヘッドになっていました。

初めて一緒に音を出したら、梶山シュウというベーシストは、メロディックで切れ味のいいグルーヴィンなベースを弾き、おまけにコーラスも軽々ととってくれます。
「わぁ、こんなに便利な人が広島にいたんだわ〜」

気を良くしたワタシは、毎年行っていたディナーショウの11回目のゲストに彼を呼ぶことにし、周囲が驚く運びとなります。

2003年、シュウ 37歳でした。



定例人気イベントの椎名まさ子ディナーショウに、ホーミィを唸るスキンヘッドが登場したのは、センセーショナルな出来事でした。
それまで、比較的カッチリしたオシャレでスタンダードなラインナップだったところへ、ロックはあるわ、歪み系の重低音が鳴り響くわ、インプロビゼーションが大幅に盛り込まれるわ、、、
ご贔屓筋の客層は呆気にとられながら「それにしてもあの国籍不明な唄声のスキンへッドは怪しすぎるぞ」と思ったことでしょう。
場違いともいえる強烈なゲストはその後4年間連続出場し、
いわゆるラグジュアリーな社交場はゆるやかに「異国」へと化してゆきました。

そんなある日、シュウから電話がありました。
「今度、ワシが企画するライヴに出てみません?」
「シュウのライヴに?」
「ワシとデュオってのはどうです?」
「ディナーショウでやった曲とかやるの?」
「イヤ、鍵盤は弾かずに。」
「え…。」
「オモロいと思いますよ。金儲けにはならんけど。」
はっ…こ、これは、もしかして、ナンパ返し、というものかしら…。

その日のために、とりあえずつけた「しーなとシュウ」という仮のユニット名が、そのまま現在まで残った訳ですが、
当然オリジナルなどないので、ビートルズやジブリの曲なんかをアレンジして演ったりしました。
弾き語りの女王と呼ばれた椎名まさ子が丸腰でジタバタする、ヘンテコでオモロいライヴでした。

それから、おそ過ぎる方向転換をした新参者のワタシはドレスを脱ぎ捨て?Tシャツにジーンズでライヴハウスをウロつくように。
ドレス派のファンからは「あのスキンヘッドのせいで…」と思われていたに違いありません。

後で知るのですが、この頃シュウは首都圏へ進出する話が進んでいたのを急遽取り止め、自らが率いる人気バンド「オルカ団」を解散し、独りでベースを担いで全国を周り始めていました。
シュウにもさぞかし、いろいろな事があったのでしょうヨ。

ま、とにかく、
そんななりゆきで、中年デュオが誕生しました。

2005年の夏のこと。



なんやかんやで、中年デュオ結成。
中年てのは、人生における残り時間が、ま、ぶっちゃけ少ないわけです。
若者のように「いつかきっと…」などとヌルい事をホザいてはいられない。
思いついたら即行動に移さねば、いつ動けなくなるやもしれない身なのだ。
中年だからこそ、やるなら全力でやらねば意味がないのだ!おお!そうとも!
と、共に生き急ぐ我らでありました。

通常ライヴ以外に、編み出した企画モノも数々。
「昭和歌謡ライヴ」「老化防止ライヴ」「しーなVSシュウ 対決ライヴ」
共通の趣味が「料理」なので食事付きも。
「そうめんライヴ」や「チーズライヴ」「鍋ライヴ」、
くだんの「ディナーショウ」も、自分らの手料理を振舞うという荒技でやってのけました。
(それがその後の「居酒屋椎修」へと発展するわけです)

ところで、我々は基本的に「ソロの集合体」なので、しーシュ以外の顔も持っています。
個人での演奏はもちろん、他ユニットの活動もあり、シュウは海外ツアーなどへも行っていました。
ですが、ワタシは依頼があってせいぜい近郊へ出向く程度の、いってみれば井の中の蛙で、ちょいとクサクサしていたんです。

んな中で、数年がたち。

オリジナルもグンと増え、レコーディングしてアルバムもリリース。
そうして、しーシュの方向性がな〜んとなく見えてきたある日。

シュウが、
「そろそろ旅に出てみんかね?」と言ったのです。
内心、キター!と思いました。
ヤッタ、井戸から出れるぞー!
小躍りしたい気分でしたが、ま、そこは中年らしく冷静に、
「なるほど。いい案かもね。」
「ワシがソロで周ってきた場所を辿ってもえぇし。」
自分の足で開拓した「道」と「場所」が既にシュウにはありました。
「貧乏ツアーになるけど、オモロいと思うよ。」
シュウがオモロいといった事は、たいていオモロいのでした。
「貧乏ツアーなんてしたことないなぁ。」

『旅するえせニック歌謡デュオ』の始まりです。



しーシュ初の単独ツアーは、2008年の春。

大阪から名古屋までを車で回りました。
シビアなアウェイの空気と高揚を初体感し、初めてカプセルホテルというものに泊まりました。
交代で運転したのですが、名古屋市内の道路標示がわかり難くすっかり迷ってしまい、
「シュウが女子高生のミニスカに見とれていたからだ」とワタシは主張し
「そんなことは断じてナイ」とシュウは主張し
旅が終わるまでアホみたいにギクシャクしました。
メンバーが二人ってのは、中年でもそんなつまらん事になるらしい。

これを教訓に、その後の遠距離ツアーは全て鉄道かバスになりました。

それから7年余。
ワタシに順応性があった事は間違いなく、すっかり貧乏ツアーが板についてきました。
青春18切符や夜行バスは当たり前、ご飯だけは必須ですが、雑魚寝もいとわないしテントにも泊まれます。

結成してからは、ちょうど10年。
全国各地の素晴らしい「音仲間」たちとの交流を求めて、また我々の音楽を好み支持してくださる「好事家」との出会いを求めて、流浪の活動を続けています。
もちろん、しーシュの最大の理解者であるそれぞれの家族や、地元の心強い仲間達の後押しの力も大きく、いくら感謝してもしきれないくらいです。
いずれミリオンヒットを飛ばしたら、何か恩返しができるよう、計画しておきますネ。

現在は、オリジナル全開の「しーなとシュウ」の他
ワタシがフロントのちょいゴージャスめ「椎名まさ子と執事フライデー」
シュウがベースを弾かずにカバーを歌う「梶山シュウと家政婦サンデイ」などもやっており、レパートリィは膨大に。
アルバムは4作、マキシシングル2作、オムニバス1作。年間ライヴ110本余。
いや こうして書くと、まだまだ、ですねぇ。
生き急ぎつつ、頑張らねばっ。


さて、
本日めでたく50歳を迎えられた、我が相方 梶山シュウ。
ロン毛時代から数えれば、ず〜いぶん長いつきあいになりますが、
未だに「謎のイキモノ」という感が否めません。

オモロい事を追っかけカッ飛んでったかと思えば、存在感ゼロで長いことジッと座っていたり。
怖いものがなさそうですが、高いところへは行けません。
チョチョイのチョイで美味い料理をこしらえるが、盛り付けはイマイチだったり。
あれほど軽々と言葉を操る文才があるのに、数字とお金儲けが苦手過ぎる。
靴下の色が左右いつも違う。
、、謎です。

きっと危機一髪って時にも鼻唄まじり。
チャリと食パンが大好きな孤高のシンガーソングベーシストよ、
どうぞこれからもお元気で。

、、って、この人たぶん、たまったまベースを弾いているだけで、きっと楽器はなんでもよかったんじゃなかろうか。
シタールでもトロンボーンでも琵琶でもオカリナでもテルミンでも、、、音楽になれば。

そう思う、2015年の秋です。


おめでとう。



かもめよ




 

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