しーシュ11作品め『熱風ファンタジア』
発売されてをります。
発表して2ヶ月経って、けっこう旅立って行ったのですが、あまりレスポンスがないですねぇ・・。
力作なのですが・・・。
CDといふメディアが出た時、わっしはまだ「アルバムといへばLP(アナログ盤)だらう」、とこだわってをりました。
CDは当時一枚¥3000以上しましたもので、貧乏人のわっしにはそらぁ敷居が高かった。
それでも時代の波はどんどん押し寄せ、馴染みのレコード屋にも徐々にLPのスペースはなくなり・・、
だいぶ経ってからわっしはよぅやくCDを再生できるメディア(CDラヂカセ)を買ったのです。
その時初めて、わっしはCDといふものがあんなに高速で回転してゐる、と云ふ事を知りました。
『もぅアナログのレコードはなくなるだらう』
と云ふのが当時の見解でありました。
たしかに時流は完全にアナログを駆逐したかに見えましたが、どっこいそれから30年近く経ってもまだ『なくなり』はせず、むしろ一部識者には、アナログをまた見直す傾向まで現れてゐる。
アナログと比べ、永久に高音質が残る、との触れ込みだったCDも、ぢつはさうでもない、といふ事も囁かれ、むしろデジタルで失われた不可聴音域、にまで言及される始末。
分からんものです。
そしてさらに云へば『もぅ若い人はCDなんぞ聴かない』といふ風潮。
CDの立場がないですよねぇ。
アナログやDAT、MDとの熾烈な戦いをくぐり抜け、よぅやく音源界の安泰位置に昇り詰めたと思ったら、時代遅れ、ですか。
哀れです。
まるで自分を見てゐるやうです。
かく語るわっしも、『CDジャンキー』と呼ばれてゐた頃に比ぶると、CDを買わなくはなりました。
何故か?
何故なんですかねぇ?
そもそもわっしは、音楽を「聴く」よりは「演る」ほうが格段に好きでした。
そして「演る」方が仕事になり、相変わらず演り続けてはをりますが、「聴く」時間よりは、演る時間を作りたい、と思ひます。「聴く」と云ふ行為は、改めて時間を作る、と云ふところから始めるやうになりましたねぇ。
やはり「聴く」と云ふ作業は大事です。
演る、といふ行為も、聴く、延長線に始まったこと。
あれだけのものを聴き込んできたからこその今、があるわけです。
そして、そのやうに思ってもらへるものを作り続けることの大事さ、を持ち続けたいと思ひます。
「作品を作る」といふことは、自作と向き合うことです。
云はば『禅』のやうなもの。
それが「主流でない」と嗤わば嗤うがいい。
アナログが、結局なくならなかったやうに、いつか時間が味方についてくれるかも知れん。
それまで生きてゐたら、の話ですが・・・。
発売されてをります。
発表して2ヶ月経って、けっこう旅立って行ったのですが、あまりレスポンスがないですねぇ・・。
力作なのですが・・・。
CDといふメディアが出た時、わっしはまだ「アルバムといへばLP(アナログ盤)だらう」、とこだわってをりました。
CDは当時一枚¥3000以上しましたもので、貧乏人のわっしにはそらぁ敷居が高かった。
それでも時代の波はどんどん押し寄せ、馴染みのレコード屋にも徐々にLPのスペースはなくなり・・、
だいぶ経ってからわっしはよぅやくCDを再生できるメディア(CDラヂカセ)を買ったのです。
その時初めて、わっしはCDといふものがあんなに高速で回転してゐる、と云ふ事を知りました。
『もぅアナログのレコードはなくなるだらう』
と云ふのが当時の見解でありました。
たしかに時流は完全にアナログを駆逐したかに見えましたが、どっこいそれから30年近く経ってもまだ『なくなり』はせず、むしろ一部識者には、アナログをまた見直す傾向まで現れてゐる。
アナログと比べ、永久に高音質が残る、との触れ込みだったCDも、ぢつはさうでもない、といふ事も囁かれ、むしろデジタルで失われた不可聴音域、にまで言及される始末。
分からんものです。
そしてさらに云へば『もぅ若い人はCDなんぞ聴かない』といふ風潮。
CDの立場がないですよねぇ。
アナログやDAT、MDとの熾烈な戦いをくぐり抜け、よぅやく音源界の安泰位置に昇り詰めたと思ったら、時代遅れ、ですか。
哀れです。
まるで自分を見てゐるやうです。
かく語るわっしも、『CDジャンキー』と呼ばれてゐた頃に比ぶると、CDを買わなくはなりました。
何故か?
何故なんですかねぇ?
そもそもわっしは、音楽を「聴く」よりは「演る」ほうが格段に好きでした。
そして「演る」方が仕事になり、相変わらず演り続けてはをりますが、「聴く」時間よりは、演る時間を作りたい、と思ひます。「聴く」と云ふ行為は、改めて時間を作る、と云ふところから始めるやうになりましたねぇ。
やはり「聴く」と云ふ作業は大事です。
演る、といふ行為も、聴く、延長線に始まったこと。
あれだけのものを聴き込んできたからこその今、があるわけです。
そして、そのやうに思ってもらへるものを作り続けることの大事さ、を持ち続けたいと思ひます。
「作品を作る」といふことは、自作と向き合うことです。
云はば『禅』のやうなもの。
それが「主流でない」と嗤わば嗤うがいい。
アナログが、結局なくならなかったやうに、いつか時間が味方についてくれるかも知れん。
それまで生きてゐたら、の話ですが・・・。